思いのたけ、スラングを使って叫びたい気持ちはあります。
でも、それでは言葉の本来持つ魔法の力を切り裂くようなもの。
小学生の頃、わたしの拙い、直接的な表現の詩を読んだ母を、悲しませたことを、今でもはっきり覚えています。
(子どもの心の叫びを受け止めきれなかった大人の女の弱さも哀しかったけれど・・・。)
美しい日本語で真意をブレさせず、きちんと伝えたいこと、喜怒哀楽を表現される方はいらっしゃいます。
毎月楽しみに出かけているシネマクラブで「歩いても歩いても」を観ました。
監督は是枝裕和。阿部寛、夏川結衣、樹木希林、原田芳雄、YOU等が出演の作品でした。
とにかく、ただ、淡々と家族の様子が描かれ、ほとんど会話で構成されています。
これを五感だけで判断して観るならば、地味な作品なのかもしれません。
観る側が心の視点で観てみたら、どうでしょう。
交わされる会話に含まれる、それぞれのキャラクターの人生観。
当然、親兄弟、親族、夫婦であってもひとりひとり違います。
女の立場、男の立場でも違うでしょう。
何気ない日常の風景が、会話が、なぜ、こんなにも凄惨で悲哀で美しく、愛しいのでしょう。
それは、人間が織り成しているから。
人間はいくらでも深みを持たせることができます。
女も男も、子どもも大人も人間です。
そんな当たり前のことを、いえ、当たり前のことだからこそ、意識したとしても、まだ、足らないのが人間です。
人と人との間に交わされる言葉は、特に近しい関係性の中では、大切に育みたいものです。
その場、その場の気分で言葉を荒げるほどの理由があるかないかを判断するゆとりは持っていたいです。
★Photo by Mr.S.S